消えたい気持ち

消えたい気持ちがずっと襲ってくる。

疲れているし、考えることをやめればいいのだろうか。

中庸でいて、何も決めず、たゆたうまま流れにみをまかせる。

考えることをやめて、現実的な対処に集中すれば、気が削がれるのか。

 

仕方ないじゃない。

 

だって、考えたくないのに、ふっと出てくるのは消えたいという気持ちばかり。

孤独なのだよ。誰もそばにいないのだよ。

 

体を動かして、ビタミンをとって、漢方を飲んで。それで改善するのはいつなのだろう。

死にたくなったらじっと我慢して、過ぎ去るまでまって動かずそこにいる。

依頼された仕事をこなしていく。

そのまま、自分から動かず流れに身をまかせる。

そうやって木の葉のように流れていることが私の改善につながるのか。

 

死んでもなんの意味もないと、カウンセラーが言う。なんの解決にもならない。

いいよ、別に解決したいわけじゃない。

 

いなくなったあとのコトなんか知らない。

私がいなければ、私にまわされた仕事は別の人にまわされるだけ。

私がいなければ、私に好意を持っている人は私以外の誰かにまた違う美点をみつけるだけのこと。

 

具合が悪いからカウンセリングにいった。

それは多分今の苦しい状態から改善されたいと願ったからだけれど

今改善のために動くだけのエネルギーがないのだよね。

 

動きをとめて息をとめて何もしないで。

 

でもね。

 

息をとめる前にせんせに会いたい。

せんせに好きだっていいたい。

そんなこと願っても、できないことだよ。

できないことを願っても意味がないこと。

 

せんせにはもう会えないだろうということを含めて

自分の思い通りにならないこと、それに対する気持ちに慣れるしかない。

寂しいんだよ。せんせは、私が唯一心を開けた人なのにも近づくことができない。

せんせは、この世にいない人だと私の中で思い込むしかない。

そんなこと思ってしまうのは、せんせが、私の中でシェルターになっていて

せんせにあって充電したいからなのかな。気持ち悪いなぁ私。

長期間の片思いなんて気持ち悪いだけ。

相手を理想化して、自分に都合の良いようにエピソード記憶をかきかえているだけ。

ほんとは、本当のせんせのことなんてわかっていないのに。

私の中のせんせは、私が書き換えた記憶がベースなんだから

私が会いたいせんせは、私の中にしかいなくて、きっとそれは実物と乖離している。

最近の、せんせをみたでしょ。だれ?って思った。

4年くらい前までは私の知っているせんせだった。

でも、今のせんせは、私の知っているせんせじゃない気がする。

せんせは、表情も雰囲気もかわっていた。

パートナーができたのかもね。

私はね、せんせが、私を好きだった過去が、私の中で大きな支えなんだよ。

でも、せんせにパートナーができたら、もうシェルターじゃない。

始まらないままおわったんだよ。確かめる術もないまま。

 

耐え難い。時も、風もとまり、色も音もなくなる。

 

親にもらえなかった愛情を、せんせにもらったような錯覚をしているんだね。