パラレル


恋愛関係における親密さが苦手だ

恋愛関係の、延長線上に性的な関係を築く、自然な流れだと思う。頭では理解している


恋愛関係で、君がとても大切だと言われても、性的な関係にいくと、残念な気持ちになる。


結局、帰結がそうかと思うと、全部同じ誰も一緒って思う。わたしの存在も、代替もきくもの何だろうって。

性的な関係て、なんら充足感がないから、情緒的に搾取され、魂が削られるが如く、自分が損なわれていく。


性的な関係を介さない、愛着関係はゼロなんだという気づきが、払拭されない。愛着関係だけというものがないから、傷つく。


せんせの存在は大事だね。

性的な関係なく、大切だとおもわれた、とセラピストがいう。


わたしは、せんせの話だとよく気持ちが動く。せんせの存在は、あるかどうかわからない、主観すら信じられない。


そうであってほしいと思う。誤解をおそれずにいえば大切だと思っていたらといま言われたら、それはわたしの治療的に役立つでしょう。でも、ない。たしかめようがない。おきたら思いがけない幸いだ。


望んでも、愛されることはないんだという、気持ちだ。


せんせに見守られて大事にされて、というのはカウンセリング経験で言えば幼少期。


せんせはわたしをだいじになんておもうはずない。だって対等な関係じゃないし、頭がおかしい人を相手にしているんだから、

いきてる階層が違う。


セラピストは、それは患者を守るための気遣い、でもそこが揺らぐから味わい深いんだよ、と。

私的な関係になって深い関係になんてなったら、トラウマの上塗りになるし、すごいショックになる、それを避けるのがセラピーのセオリーで、それがセラピューティックな態度で、それが階層の違いだと感じるのかもと。


わたしは、セラピストの時間にお金を払っている。それはギブアンドテイクで、損なわれない関係だと思う。そこに感情は入らないんだ、と。


わたしは、セラピストがせんせとわたしのあいだにあとたものを否定する材料はないといわれても、否定材料を探している


否定するからつらいのかな

なんで否定したいかって、そんな人いない、と思うから。

過去の、自分は愛される経験がない。


ジェンガだ。積み重なり、虫食いで、倒れやすい。


記憶も感覚も、妄想、ほんとに?


ほかの人に対しての話は、一線ひける。

幼馴染のことも、ああいう人だからって。

ストーカーも、あんなことがあったって。

親のことさえ、なんか遺恨があるみたいーってなる。


ほかの感情や記憶は、否定材料は探さない。

なのに、せんせのときだけ。

情緒的に傷つけられた感じもないのに。


わたしは、fが大好きだったんだ。

同じように、海外で仕事するんだと思っていたし、同じように本も好きだし、

大好きだったんだ。

だから、深い関係になったときに、

バラバラになったんだ。

それがないと、愛されないのかも、

手放しの愛情なんて得られないんだって。

それは望んでいないから。


大好きだと思った相手に

いるだけでいい、いるだけで愛しているんだ、という人がいないって

望んだ世界にyesと言われない。


社会の最小構成集団である家族にも、yesといわれないのに。子どもの頃、世界は家族であった。


知らないのだよ。

いま、わたしの周りにいる人たちは、わたしが何をして、何をされたか。

社会適応だけが高くなり、仮面でいきている。仮面の裏は腐っている。


助けて欲しかったんだよ

助けてって言いたかった

目の前にいたのに

知られたくない

でも知ってもなお、

大丈夫だ、いて欲しいんだ、愛してるからと、あの人がいったら、救いになるんだろうか


死にたいのは、望んだ世界に拒絶されたからか。