先生に会いたいです。でも会いたくないです。

もう、何年も前のこと。

私は、とてもひどい状態だった。

生活は破綻し、自分を見失い、一体どこが悪いのかすらわからない状態だった。

 

今の解釈でいうと、解離症状がひどく、生活のコントロールができなくて、自傷行為も、自殺企図もひどかった。抗精神病薬を数種類のみ、それでも心は安定しなかった。

 

その頃、あるカウンセラー(臨床心理士)と出会った。

言葉にすること、コントロールできないときに誰かを頼ること、最終的には入院で安全な場所にいること、そんな方針をたてていたのかもしれない。

カウンセリングのセオリーとは、いささか異なる接し方もあった。

 

そのカウンセラーとのセッションで、私が受け取ったのは、「頼ってもいい人、見守られてくれる人がいる」という言外のメッセージだった。

 

ずっと、私はそのカウンセラーのことを忘れていた。正確にいうと、カウンセラーのことだけでなく、上記のような生活をしていたことも、自分が精神科に入院したことも、忘れていた。

およそ10年近い期間の記憶がすっぽり抜けていた。

ここ1年で急激に思い出し、件のカウンセラーのことも思い出している最中だ。

 

過ぎ去ったことなんてどうでもいい、覚えていないならそれは自分にとって必要がないこと。

そう思っていたのに、どうでもいいと思いすぎて、自分の中に澱となり、それが不調の原因となっている可能性がある。それで、そこをなんとかしようとしている。

 

件のカウンセラーにはもう、会うこともないかもしれない。でも、もし会うことがあれば、顔をみてお礼の気持ちを伝えたい。

 

ありがとう。

あなたがいたことで、私は誰かが、私を見守っていてくれること、誰かに心配される(大切に思ってもらえる)価値がある(誤解を恐れずにいうと)存在だということを感じることができた。

 

その時はわからなかったけれど、

今、その経験が、自分の中できっと

シェルターになっている。

確かに、その時私を大切に扱おうとしてくれた人がいたんだ、ということが、気持ちのシェルターだ。

 

私が、そこまで壊れて

そして、私がずっと思い出すこともなかったのは

私が"悪質なもの"に長期的に晒されていたからで

それは、自分の存在の根幹を揺るがすもののようだ。悲しいことに、記憶も当事者意識もない。

ただフラッシュバックという、実体がないものが侵食しているだけ。

 

それでも、件のカウンセラーとのかかわりがあるから、大丈夫だ、と自分に言い聞かせられる。

それは、セッションの間だけ、仕事のやり取り、それでもいいんだ。それだからいいんだ。

カウンセラーとクライアントという関係では、

私は傷付けられない(はず)の関係で

その中で、見守られる経験をした。

それは特殊な関係性で生まれた経験だけれど

だからこそ、そこに安全がある。

安全で脅かされない関係が存在し、

誤解を恐れずにいえば、その関係性の中で、ある種の愛情を感じたんだ。

 

 

ただ、記憶がすっぽり抜けているせいで

自分の感覚が信用できない。

だから、件の出来事も本当にあったことではないんかもしれない、だって忘れていたのだから。

そして、それがただの妄想なのかもしれない。

または、私が言外に受け取ったメッセージとやらもただの私が作り出したイメージなのかもしれない。

そんな不安がずっと付きまとっている。

だって、受け取ったメッセージすら自分のただの思い違いだとしたら、私は何もないものを、あると信じて、自分を励ましているだけで、

実体のないものを自分の基礎として、そしてシェルターにしている。そんなむなしくてバカなことはない。

 

 

件のカウンセラーに、お礼を伝えたい。

おかげさまで元気です、と。

 

でも、それと同時に、

 

私が受け取った、言外のメッセージは正しいのでしょうか

 

私はそれを自分のシェルターとしていいのでしょうか

 

本当にそれらは、私とあなたの間にあったことなんでしょうか

 

と、確認したくなる。

もちろん、それの答えがYESでなかった場合

立ち直れない可能性がある。

 

それで何もできないのだけど。

 

先生に会いたいです。でも会いたくないです。